Vilhelm Hammershøi
ヴィルヘルム・ハンマースホイの世界
ハンマースホイ

フェルメールと北欧のフェルメール

フェルメールと北欧のフェルメール

19世紀終わりから20世紀初頭に活躍した北欧デンマーク出身の画家ヴィルヘルム・ハンマースホイ(ハマスホイ)。

ハンマースホイは、静謐な室内画が特徴の画風から、「北欧のフェルメール」と呼ばれています。

ヨハネス・フェルメールは、光を巧みに描いた中世オランダの画家で、レンブラントと同時代のオランダ黄金時代を彩ります。

フェルメールは1632年に生まれ、生涯のほとんどを故郷デルフトで過ごしました。現存する作品数は33〜36点で、他に記録に残っている作品が10点ほどと、寡作の画家でした。

生前から高い評価を受けていたフェルメールですが、1675年に亡くなり、18世紀になると、作品の少なさも影響し、急速に忘れ去られていきます。

しかし、その後、19世紀に写実主義や印象派が登場し、写実的な画風の17世紀オランダ絵画も注目を浴びると、フェルメールも「再発見」されることに。

日本国内でも人気の高い画家の一人です。

一方、ハンマースホイは、1864年に生まれ、1916年に亡くなる北欧デンマークの画家で、肖像画や風景画もありますが、多くの作品が室内画です。

ハンマースホイもまた生前はデンマークを代表する画家だったものの、没後は忘れ去られ、近年再評価されている画家で、日本でも2008年にアジアで初となる回顧展が、2020年に再び東京上野で回顧展が開催されるなど、徐々に注目を集めています。

ところで、このフェルメールとハンマースホイの絵を比較したとき、「北欧のフェルメール」という異名に正直少し違和感がありました。

フェルメールというよりは印象派の画家に、時代的にも、画風的にも近く、ハンマースホイの陰鬱な気性や、あるいはデンマークの気候、歴史的な背景が、ハンマースホイ独特のどこか暗く物憂げな「印象」を描かせたのではないかと、そんな風に僕は思います。

ただ、ハンマースホイは過去に三度のオランダ旅行をし、そのときに観たとされるフェルメールの作品などオランダ絵画に深く影響を受けたのではないか、と考えられています。

しかし、個人的にはその共通点というのも「室内画」という絵の題材の側面が大きく、両画家を比較するとむしろ違いのほうが際立ってくるように感じられます。

今回、あらためてフェルメールの絵とハンマースホイの絵の画集を見比べ、その「違い」について自分なりにざっくりとまとめたので紹介したいと思います。

三つの比較

1、笑顔

フェルメールの作品には、しばしば「笑顔」が登場します。

微笑も含め、その笑顔には緊張感や嘘くささが感じられず、フェルメールの世界の住人たちは、部屋に注がれる光や、服の生地のような、自然な風合いの笑みを浮かべています。

ヨハネス・フェルメール「士官と笑う娘」 1655-60年

逆にハンマースホイの絵を見ると、肖像画(多くは妻イーダ)の人物は笑顔を見せず、ほとんどうつむくか後ろ姿、ときおり画家のほうを見るモデルの眼差しも、皆うつろで不安げです。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ「二人の人物像(画家とその妻)、あるいは二重肖像画」 1898年

ヴィルヘルム・ハンマースホイ「イーダ・イルステズの肖像」 1890年頃

2、食事

フェルメールの作品には、食材もよく登場します。

パンや果物、ワインなどが生活の一部のように描かれます。もちろん、キリスト教(聖書)との関係性も大きいのでしょう。

西洋美術の文脈では、パンは聖餐(キリストの血と肉を象徴するワインとパンを教徒に分かつキリスト教の儀式)、牛乳は天上の飲み物を象徴する。初期に物語画家を目指していたフェルメールがそれを知らないはずがない。だとすれば、フェルメールはこのひっそりとした世俗の厨房にひそかに聖性を盛り込もうとしたとも考えられる。

出典 : 小林 頼子『フェルメール全作品集』

こうした宗教的意味合いもあったかもしれませんが、フェルメールの描く食べ物にはそもそも生活感や温もりが感じられ、美味しそうな印象を抱かせます。

ヨハネス・フェルメール「牛乳を注ぐ女」 1657 – 1658年頃

ヨハネス・フェルメール「窓辺で手紙を読む女」 1657 – 1659年頃

一方、ハンマースホイの絵には、食事の風景や食材が描かれることもありません。唯一描かれている食材はバターのみ。

ハンマースホイ、ハマスホイの絵ヴィルヘルム・ハンマースホイ『ピアノを弾く女性のいる室内、ストランゲーゼ30番地』 1901年

テーブルの上のお皿にはなにも置かれることがなく、ただバターがぽつんと載っているだけ(ピアノを演奏している様子が描かれた絵も珍しい作例です)。他には一切食材が登場しません。

3、視線

フェルメールの作品は、絵のモデルがこちら側を覗き見る視線も特徴的です。

この視線は、視線そのものが不思議なメッセージ性を帯びると同時に、画家フェルメールの人柄も象徴しているように思います。

画家とモデルのあいだに、人間的な温もりのある繋がりを築けていたのではないか。たとえば下記の絵も、フェルメールがモデルの女性に声をかけ、その反応を表しているように見えます。

ヨハネス・フェルメール「手紙を書く女」 1665年頃

光景やモデルの表情だけでなく、その空間に同席する画家との距離感や空気の温かみまで描かれています。

一方のハンマースホイの絵を見ると、モデルとのあいだに柔らかに溶け合うような信頼関係が結ばれているようには思えません。

視線はうつむき加減で、もの寂しげです。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ「二人の人物像(画家とその妻)、あるいは二重肖像画」 1898年

ヴィルヘルム・ハンマースホイ「休息」 1905年

室内にひっそりとたたずむイーダも、やがて姿を消し、わずかな光の差し込む、誰もいない室内が描かれることも増えていきます。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ「居間に射す陽光Ⅲ」 1903年

祈りの力の薄れた世界で、たださまよう人類の孤独。誰も存在しなくなった空虚な室内にわずかに射し込む光。

暗く、寂しい空虚な室内に、一筋の陽光が窓から射し込む様子は、まるで何かを象徴しているかのようにも見えるが、果たしてそれが何なのかは決して明らかになることはない。

出典 :『ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情図録』

こうした光景に、フェルメールとの違い、そしてハンマースホイの世界が象徴されているという気がします。

 

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