ムンクの名言
エドヴァルド・ムンク(1863 ~ 1944)は、「叫び」の作者として世界的に有名なノルウェーの国民的画家です。
ムンクは、1863年に生まれ、幼い頃から虚弱で、また、ムンクが5歳の頃に母を、15歳の頃に姉を亡くす(死因はともに結核)など、生と死の不安を抱えていました。
その後、ムンクは、芸術を学ぶ過程で印象派などの影響も受けながら、その不安を表出した多くの代表作を生み出します。
ムンクは、芸術にまつわる言葉も残しています。以下、ムンクが残した言葉から選んだ名言を紹介したいと思います。
ムンクの名言①
もうこれからは、室内画や、本を読んでいる人物、また編み物をしている女などを描いてはならない。
息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描くのだ。
これは1889年に書かれた「サン・クルー宣言」と呼ばれる、ムンクが残したメモ書きの一節。当時、父の死でさらなる不安が募るなかで、狂気を絵画に表したゴッホの作品の影響も深く受けることになる。
ムンクの名言②
絵画を説明することは不可能である。
ほかに説明するすべがないからこそ、その絵が描かれたのだ。自分がどの方向へ進もうとしたのかについて、かすかな暗示を与えることができるにすぎない。
−ある友人への言葉
ムンクの名言③
心を打ち明ける必要にせまられて、どうしてもできあがってくるような芸術でなければ、私は信じない。
− ある友人への言葉
ムンクの名言④
私の芸術は、自己告白であった。それは、沈没しかけている船の無線技師が打つ、SOS信号のようなものであった。
–
生の不安と疾病がなかったら、私は舵のない船のようなものであったろう。
– ある友人への言葉
ムンクの名言⑤
エドヴァルド・ムンク「叫び」 1893年
私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。
友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。
– ムンクの日記
この日記の一節にあるように、ムンクの「叫び」は、この描かれた人物が叫んでいるのではなく、むしろ叫んでいるのは世界のほうで、その叫び声に耳を閉ざすように世界を遮断している姿を描いたとも言える。
以上、芸術にまつわるムンクの名言でした。